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二条陣屋には予定より少し早く付きました。中を覗いていると関係者と思われる方がこられ、
時間まで近くの神泉苑に行く事を勧められて、行ってきました。 神泉苑は平安京造を造る
時に、大内裏の南に造られた庭園で。桓武天皇から、歴代天皇の行楽地となり、観桜、納涼
、船遊び、詩歌管弦などがおこなわれたと伝わっています。今では庭園の池に船が浮かんで
いて、その頃の様子を思わせていました。二条陣屋に戻ってみると先客が待っていて、2グ
ループに分けて、説明が始ました。壁にすがったり、壁に手をついたりせず、自力で保つこ
とと、手荷物を全て預けるように言われました。これは重要文化財に傷を付けない為だそう
です。スリッパも無く冷えるので厚手の靴下を勧められました。建物は江戸初期の寛文年間に建てられ約400坪26部屋。とにかく広い。 諸大名の宿舎と して用いられていた。二条陣屋は俗称で本当は小川家住宅だそうです。現在も小川家として使 用しているので、案内以外の部屋はのぞいてもいけません。この建物は、京に屋敷を持たない 大名の上洛中の陣屋として使用する為に作られました、特徴は防火の為に敷地内に12箇所の 井戸を設置し、その井戸も地下で繋げ、井戸の水を安定して使えるようにしてあります。外か らの火災にも配慮し外壁は土蔵造りで屋根の先には銅板を張ったり、庇の樋にフックが付けて あり、いざと言う時にはむしろを濡らし引っ掛ける事で類焼を防いだようである。実際に天明 (1788年)の大火や、幕末の鉄砲火事(1864年) にも耐えてきています。
もう一つの特徴がカラクリです、このカラクリは争いをするためで無く、死傷者が出ると
宿として使用できなくなるので、大名の安全と避難の為にカラクリを作ったそうです。
大座敷には明かり天井が有ります。天井には警護の為の武者だまりが有り、明かり天井か
ら出入りも可能になっていました。直ぐ裏の廊下には二階に逃げる為の足掛けが壁に付け
て有り天井板も上がります、湯殿の前の廊下には釣り階段。他にも隠れ部屋や落とし階段
に、刀が振り上げられないように天井の低い廊下など、身を守る工夫がこらしてありました。
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